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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション

カンボジア大使館ビザ取得

カンボジアへの入国には、ビザ(査証)が必要です。またパスポートの残存有効期間が3ヶ月以上です。観光、業務ビザはカンボジア大使館内のビザ部門で受付けています。これまでビザの申請には、申請と受け取りの二回、大使館に赴く必要がありましたが、新たに郵便によるビザ申請が可能になりました。申請に必要な書類は以下のものです。

日本国籍の人
●ビザ申請書1枚
●証明写真1枚(35mmX45mm)最近撮影されたもの
●パスポート(残存期間がカンボジア出国日より6ヶ月以上有効なもの)
●ビザ料金:(現金以外の為替、小切手、切手等は不可)。 また、申請後の返金もなしです。
観光ビザ・・・\2800 US20
業務ビザ・・・\3200 US25

郵便局へ行き、現金書留用の封筒を購入します。その中にパスポート、申請料、写真を貼った申請書、返信用封筒(切手を貼って、自分の住所、氏名、電話番号を記す)を入れて送ります。

ビザの取得はパッケージツアーを扱っている旅行代理店で代行してもらうことも可能です。その場合、代行手数料として\4000~5000ほど必要となります。

ビザの延長
ビザは発給日より3ヶ月間有効で1回に限り入国日から1ヶ月間の滞在が可能です。また、出国してから再度入国する場合は改めてビザを取得してください。

業務「ビジネス」ビザで1ヶ月間、3ヶ月間、6ヶ月間、12ヶ月間延長(数次ビザ)する場合は、入国管理局国家警察(No.5 Oknha Mean Street, Phnom Penh)にて延長手続きをします。
観光ビザで延長する場合は1ヶ月間に限り入国管理局国家警察(No.5 Oknha Mean Street, Phnom Penh)にて延長手続きをしてください。


ビザの延長の手続きは時間がかかります。急ぐ場合は、旅行代理店に代行してもらうとよいでしょう。
  


Posted by IsekiMonth │カンボジア

カンボジアの小春巻き

カンボジアの食事はお米が中心です。トレン・サップ湖など淡水魚の豊富な漁場を有することから、魚を使った料理や調味料が多いのが特徴です。お隣のタイでは、唐辛子を多用することから・・・喉がひりひりすることが多いのですが、カンボジアの料理は、エスニック料理には珍しく優しい味を楽しむことができるでしょう。

日本でも手軽に手に入る材料で、カンボジアのおなじみの料理に挑戦してみてはいかがでしょう。普通の春巻きの4分の1ほどの小さな春巻きです。

小春巻(チャージョー)

◆材料(40個分)
・豚挽き肉・・・200g
・小えび・・・50g
・たまねぎ・・・1/4個
・春雨・・・20g
・にんにく・・・1かけ
・バターピーナッツ・・・大さじ2
・春巻きの皮・・・10枚
・塩、砂糖、小麦粉・・・少々

●たれ
・砂糖
・塩
・酢
・トゥクトライ(魚醤油)
・にんにく1片
・赤唐辛子

◆作り方
下準備
・エビ・・・エビは、殻と背わたをとって、包丁でたたいてミンチにします。すり鉢ですってもokです。

・春雨・・・春雨はお湯でもどし、よく水を切ります。その後、みじん切りにします。
・玉ネギ、ニンニク・・・玉ネギとニンニクはそれぞれみじん切りにします。
・バターピーナッツ・・・ミキサーまたはすり鉢で細かくします

作り方
1.ひき肉と、それぞれ下準備したエビ、春雨、玉ネギ、ニンニクをよく混ぜます。
2.普通サイズの春巻の皮を正方形に4等分します。1のひき肉を少しずつのせて巻きます。水溶きの小麦粉をのりにして止めるとうまくとまります。
3.揚げ油で皮がきつね色になるまで揚げてお皿に盛ります。


●たれの作り方
水の中に砂糖、塩を入れて、火にかけます。よく混ぜ、酢、トゥクトライ、みじん切りのにんにくを加えます。ピリカラがお好きな方は、薄切りの赤唐辛子を加えるとよりエスニックな味になります。トゥクトライ(魚醤油)があればもちろんいいのですが・・・無い場合、または魚の生臭さが気になる人は、普通のおしょうゆで代用してはどうでしょう?
  


Posted by IsekiMonth │カンボジア

アンコール王朝の隆盛と衰退

アンコール王朝(クメール王朝)は、現在のカンボジア人(クメール人)が5、6世紀から版図を拡大し、9世紀にヤショーバルマン一世が巨大な都城、ヤショーダラプラ(「ヤショーバルマン王の都城」)を建設したことからますます隆盛を極めていきます。現在のアンコール遺跡群は、ヤショーバルマン一世の建築から約550年間にわたり建築され続けてきた、都城(アンコール・トム)であり、11世紀に建設された、大寺院(アンコール・ワット)なのです。

アンコール王朝の最盛期

アンコール王朝は一時期、インドシナ半島に伸張してきた近隣勢力によって占領されたこともありましたが、すぐに回復し、ジャヤバルマン七世の統治下で、空前の繁栄を具現します。その領域は、インドシナ半島の大部分を占めるほどになったのです。王は道路網を整備し、街道には121箇所の宿泊所を設置したといいます。さらに国内には102箇所に病院が建てられたのです。

アンコール王朝の衰退

ジャヤバルマン七世の統治下で最隆盛を極めたアンコール王朝でしたが、ジャヤバルマン七世の死後、その国力は急激に衰退しました。15世紀(1432年)には、シャム(現在のタイ)のアユタヤ朝によって攻略されました。
アンコール王都は陥落しました。その後、もともとプノンバケンの小丘にあった都は、スレイサントール、プノンペン、ロベック、ウドンへと点々とすることになります。そして西のシャム(タイの勢力・・・アユタヤ朝、バンコク朝)、東のベトナム(グエン朝)に領土を侵食されながら、近代へと至ったのです。
  


Posted by IsekiMonth │カンボジア